萌えの終焉の危機

全ての行動の原動力は萌えであると言っても過言でない気がする今日この頃、いかがお過ごしでせうか?

去年、萌えのために編んだ白い帽子、ちょっと大きめかもなんて言っていたのも束の間、1年経ったら恐ろしく小さくなっていました。
試しにかぶせてみても、萌えられません。

また同じ帽子を編もうかとも思いましたけれど、乳児を卒業して幼児となり、巨頭となった今では似合わず、作ろうという気力も起こりません。
もう、クマ耳のついた萌え帽は禁断の領域なんですね。

そんな悲しい気分で、今年は棒針。
せっせと針を動かしていていると、棒と紐には目がない人がからんできます。

昔、猫を飼っていたときもこんなことがありました。
毛糸にじゃれついた挙げ句、毛糸を飲み込み、うえっぷ…となっているところをずるずると口から毛糸を引っ張り出し…って、息子さん!毛糸を口に入れないでください!

帽子ひとつに大騒ぎで、完成までにはかなり時間がかかりそうな気配。
子供がいてまめに手作りしている人というのは、このからんでくる生き物をどううまくさばいているんでせうか?
気になるところです。

@昨年&今年の帽子(予定)前